気軽にサッカーが出来る人生とできない人生

コラム
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サラリーマン時代から一緒にサッカーをしているメンバーとは今でも同じチームで一緒にサッカーをしています。

月に数回程度ですが、主に市のリーグ戦で試合をしたり、知り合いのチーム同士で練習試合をすることが多いです。

 

ちなみにその練習試合でアキレス腱を切ってしまったのですが・・・

怪我の影響で半年くらいはまったく参加できていませんが、そろそろ復帰に向けてのリハビリも最終段階です。

 

仕事優先の人生って・・・

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基本的に誘われたら、即答でOKなんですが、怪我ではどうにもならず、ここ最近は毎回不参加の回答をしてました。

それで、出欠確認の度に残念に思うのがこれ。

 ↓↓↓

 

サッカー出欠確認LINE画像20171024他のメンバーの不参加の理由がとても残念ですね。

 

私はある程度の自由を手に入れることができました。
(体は不自由な期間がありますが)

怪我さえなけば、他のチームの人数が足りないときなどに助っ人を頼まれれば、いつもOKしてました。

平日の夜に「フットサルしようぜ!」と誘われたら、当日の誘いでもすぐに参加してました。

 

車好きの友人に
「新型車が発表されたから試乗に行こうぜ!」
と誘われたら、すぐに一緒に行きます。

 

朝起きて、良い波の日には、ふらっと一人でもサーフィンに出かけたりします。

 

しかし、周りの人を見て思います。

 

労働で消えていく時間

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仕事のために好きなことができないのが当たり前な人生って楽しいんですかね?

週休2日で働く人の年間の業務日数は260日くらいです。

労働時間は1日8時間だとすると、年間で2,080時間。

定年退職するまでに40年間働くと、83,200時間。

83,200時間を日数に換算すると、約3,466日。

3,466日は年数に換算すると、9.5年。

人生のうちの10年近い時間は、労働のためだけに消えていく・・・

 

私が長時間労働でほとんど睡眠時間も取れずに過労死することを恐れて、会社を辞めて独立起業したのはご存知だと思います。

当時の私は実際に仕事に取られる時間は8時間どころではなく、休憩時間も少しでも仕事を進めるために働いていたし、片道1時間かけて会社に通勤していました。

 

例え、残業ゼロでも1日10時間以上が会社のために消えていました。

週休2日で1日に10時間勤務を40年間続けると、人生は約12年が消えてしまう計算です。

 

私の場合は、長時間の残業があったのでもっと酷いです。

1日13時間、14時間などは普通に働いていたので、もはや自分の人生を会社にプレゼントしているような状況でした。

 

しかも、それは、

勤務地が何度も変わり、住む場所を選べない
会社のカレンダーに合わせて好きな日に休めない
家族・友人との時間を優先できない
生活リズムも自由にならない
気軽に長期旅行にも行けない
上司、同僚、部下、客、取引先との関係によるストレスだらけ

などなど・・・

多くの問題を抱えながらです。

その中でよく20年間も我慢したと思います。

 

もっと時間を大切にするべき

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もしも、仕事に消えていく10年以上の労働時間を無くして、仕事に関連した束縛やストレスも一切が消えてしまい、自分の好きなことのためだけに全部の時間や体力を使えたら、どれだけ楽しい人生になるだろうか?

会社を辞めて、様々な束縛やストレスが無くなったときに私の中では再就職というものは選択肢の中に入れるべきではないものになっていました。

 

これから先の人生の中で、また20年以上に渡って自分の時間を売り払って、数多くの束縛やストレスを受け入れて、食べていくのがやっとの生活を手に入れても全く嬉しくありません。

再就職したら、気軽に友達とサッカーをすることもできなくなるでしょう。

「勤務のため不参加」
なんてくだらない理由を返信したくありません。

 

人生の幸福に対しての重要度

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私が考える人生の幸福に対しての重要度で比較すると、

お金を稼ぐための労働 < 友人とのサッカー

です。

サッカーに参加するために仕事は休むべきです。

しかし、収入源が自分の労働によるものしかない場合は、仕事が無くなった途端に生活できなくなるので、

お金を稼ぐための労働 > 友人とのサッカー

と、重要度を変更しなければなりません。

収入がなくなることは物凄く怖いことなので、他にも次々と重要度が変わっていきます。

お金を稼ぐための労働 > 自分
お金を稼ぐための労働 > 親
お金を稼ぐための労働 > 妻
お金を稼ぐための労働 > 子供
お金を稼ぐための労働 > 恋人
お金を稼ぐための労働 > 友達
お金を稼ぐための労働 > 夢
お金を稼ぐための労働 > 趣味

などなど・・・

そうやってお金を稼ぐための労働を人生の中での一番高い重要度にしてしまい、
何事にも仕事を気にしながらの人生へと変わっていきます。

 

こういう人を「社畜」と揶揄されますね。

会社での労働のために生きる家畜。

自分と同世代の働くおじさんが何となく老け込んで、悲惨な感じに見えるのは、そういった失われた人間性によるところから感じるものがあるからなのかもしれません。

 

死んだら終わりですよ

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みんなもっと自由に生きるべきだと言うと、
「全員がそんな考えだと社会が回らなくなるだろ!」
という意見もあるでしょう。

しかし、私たちは国や社会のために生きているのではありません。

重要度は、自分 > 国、社会です。

私たちがいなくなっても、国や社会は問題なく回り続けます。

100年後には、地球上の人類のほぼ全員が死んでいるでしょう。

それでも、国や社会は何事もなかったかのように回り続けていくはずです。

 

私たち人間は死んだら終わりです。

そして、自分の幸せは自分で手に入れようとしなければ手に入りません。

国や社会よりも自分が大切なのは当たり前のことです。

だから、自分や家族が幸せになったら、その後で国や社会のことを考えればいいのです。

 

それで、結論。

前述のサッカー出欠確認のやり取りはこうあるべき。

取りまとめXさん
「○月○日にサッカーやります!」

Aさん返信
「参加します」

Bさん返信
「参加します」

Cさん返信
「会社休んで参加します!」

Dさん返信
「仕事休んで参加します」

これが当たり前のようになるのが、人としてあるべき姿です。

 

異論反論あれば、コチラからご自由にどうぞ。
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https://canyon-ex.jp/fx18887/mail

 

 

PS.

昔は子供の頃は毎日学校から帰ったら、友達と好きなだけ遊んでいたと思います。

最近の子は、塾や習い事で友達と遊べるのも週に数回の決まった曜日だけというのが珍しくないようですね。

そういう不自由な状況を幼少期から過ごしていくことで大人になっても不自由なことが当たり前だと思う人が多くなっているのかもしれません。

サッカーのメンバーが足りなかったときに、友達を誘う際に、「仕事休めばいいじゃん」と言ったら、「俺が休んだら仕事が回らないからしょうがない」と言われました。

しょうがないと思った時点で、しょうがなくなることに彼は気が付いていませんでした。

世の中のサラリーマンの仕事でたった一人がいなくなることで、回らなくなることなんてそう多くはありません。

しょうがなくないようにするための行動を少しはやってみるべきですね。

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